インド・アルナーチャル・プラデシュから国境を越えてブータンのお祭りへ

地図

ブータン東部のタシヤンツィは、大きな目玉仏塔で有名です。1740年にラマ・ナワン・ロデという僧侶がネパールのボダナートの仏塔を模して建立しました。大根に仏塔の形を刻んで運んだので大根が縮んでネパールのものより小さくなったとも言われています。そのときタワン(アルナーチャル)の8歳の女の子(ブータンではイシェ・カンドゥルマと呼ばれているダーキニ)が人柱となったそうです。同じタイプの仏塔はアルナーチャルのジミタンにも建てられました。

毎年春にタシヤンツィの仏塔でお祭りが2回行われます。1回目はブータン人のため。2回目はアルナーチャルの人たちのため、と聞き、本当にアルナーチャルの人が来るのかな?と2014年3月の東ブータン染織ツアーはその日に合わせて日程を調整しました。

地図

仏塔のまわりには、青いテントの出店がたくさんでていました。

巡礼

お祭りといっても、有名なツェチュとは違い、コル(=廻る)というタイプのお祭りで、ひたすらお祈りしながら仏塔のまわりをぐるぐる廻ります。あ、見つけました!アルナーチャルから来た女性。噂は本当だったんですね!中央の赤いストライプのワンピースを着た人です。ブータン内にも同じ服を着る山岳民族がいますが、腰当ての色が赤いのと、帽子の形がちょっとだけ違います。

キャンプ

アルナーチャルから来た人たち。仏塔の隣の広場でキャンプをしていました。顔はブータン人に似ているのに言葉は全く通じません。でも、ひたすらひたすら通って「私はあなたたちと仲良くしたい」をアピールしました。

記念写真

上着をお借りして記念写真。ずっとそこにいるうちに、彼らの言葉が話せるブータン人が通訳してくれました。その人はアッサムから洋服などを買ってブータン内を通過してタワンに運んで商売をしているそうです。

巡礼の人たちはタワンからブータン国境までは車道があり、そこから3〜4時間くらい歩いてブータンの車道に出てタクシーで来たそうです。地図を見るととても近いし、車道を造ろうと思えば簡単ですがブータンは中国に近い国境に車道を引くことに慎重なのでしょう。日本人はその国境を超えることはできませんが、ブータンやアルナーチャルの人たちは、自由に往来しているようです。国境ってなんなんでしょうね・・・。

ちなみに、彼女たちの民族衣装は自分たちでは織らないそうです。ブータン人が織ってアルナーチャルに運ばれているものも多いです。

チーズのおかず

食事を作っていました。トマト、唐辛子いっぱい、チーズ。ブータンの食事に似ていますね!

ブロクパ

ブータンの山岳民族の人たちも近くでキャンプしていました。女性の腰当てが黒くて帽子がきゅっと締まった形をしています。

ブータンの山岳民族の人たちは、アルナーチャルのゼミタンにあるもうひとつの目玉仏塔のお祭りによく行くそうです。ゼミタンのお祭り、行ってみたいのですが真冬。日本人が行くためにはアッサムから4000mの峠を越えて行くルートしかなく、雪が心配。この人たちが通れるルートならとっても近いのに。

国境近くの人とモノの流れって面白いなぁ・・・。