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ブータンのルーツ、ラルン寺(チベット)Visit Ralung Monastery, an origin of Bhutan

今年の7月、8月2回続けてのチベットの旅、チベット高原の雄大さ、仏教と歴史の深さに感銘を受けました。

We had very special time in Tibet. Nature was grate, History and Buddhism were so deep. And we could fulfill our own purpose that was to visit Ralung Monastery, from where the founder of Bhutan, Shabdung Ngawang Namgyal came.

そして、私達のもうひとつの目的「ブータンのルーツ、ラルン寺に行く」も達成できました。

「ブータンのルーツって何?」と思われるかも知れませんね。

実は、ブータンという国ができたのは、17世紀。それほど古くないです。

シャブドゥン・ガワン・ナムゲルというお坊さんがチベットからやってきて諸勢力を統一して建国したのが今のブータンになりました。

偉大なシャブドゥンのミイラは、今もプナカ・ゾンに安置され、毎日食事が供されています。
ですから、プナカ・ゾンはブータンのゾンの中でもとても特別なゾンなのです。

下の地図の点線がシャブドゥンがやってきた経路です。

ドゥク(ドゥルック)派という宗派の総本山ラルン寺。
シャブドゥンはその正当な後継者でした。
しかし、もう一人後継者を名乗るライバルが現れて争いになりました。

身の危険を感じて、ヒマラヤの南へと亡命したのです。

私達は、そのラルン寺に向かいました。今は小さな寺で観光客は訪れません。ガイドも初めてと言っていました。幹線道路から外れて高原の道をたどります。標高は4700mくらい。羊がいっぱいいました。

三角形に見えるのは、真ん中に柱が1本立っていて、その先に祈祷旗を結び付けています。集落もない高原にポツンと小さなお寺が見えてきました。

入口の看板です。

ちょうどお祭りが行われていました。動画です。

ブータン人の巡礼者は来ていないかな?と探しましたが、見つかりませんでした。
最近、ブータン人の観光客にはチベット入域の許可がでないそうです。国境問題のせいかな?

チベットでは文化大革命のときにほとんどの寺院が破壊されました。今のラルン寺も再建されたばかり。まだ工事中の部屋もあります。

その寺の裏の谷を見下ろすと、昔のラルン寺の跡がありました。
シャブドゥンの頃には、きっと栄華を極めていたことでしょう。

もし後継者争いがなくて、シャブドゥンが亡命することもなかったら、ブータンという国もなかったんだなぁと思うと感慨深かったです。

 

サムエ寺~チベットの旅でブータンを知る Samye Monastery , learning Bhutanese history in Tibet

2018年は7月、8月と続けてチベットに行ってきました。イロイロと制限がある地域ですが、本当に本当に面白いところでした。クセになりそうです。

I had two chances to visit Tibet in July and August 2018. Tibet was so grate and interesting. Also I could understand what I had seen  in Bhutan only when I came to Tibet.  The King Trisong Detshen, Padmasambhava, Santaraksita often seen in the alter of Bhutanese temples, finally I got the story of them by visiting Samye Monastery.

そして私のライフワーク、ブータンのことが、チベットに行って初めて納得、ということもたくさんありました。

ブータンのランジュンの僧院にて

その一つ、よくお寺で見るこの3人の聖人トリオ。

写真はブータン東部のランジュンの僧院です。中央はブータンに仏教を伝えたグル・パドマサンバヴァ、左はインドの学僧シャンタラクシタ、右はチベットの王様ティソンデツェン。ガイドに何度説明を聞いてもイマイチ ピンときませんでした。

チベットの旅では、この3人が建てた「チベット最初の寺院」である「サムエ寺」に行きました。その地に立つと不思議なことに、この3人のストーリーがスっと身体に入ってきたのです。ティソンデツェン王は仏教に帰依し、ちゃんとした寺を建てようと考えました。それまでは、仏像を祀る祠はあっても僧侶はいなかったので”寺”と呼べるものはなかったのです。戒律を授ける資格を持った人がチベットにはいないので、インドからアティーシャを招聘しました。そして寺の建設も始まりましたが、夜になると悪魔が壊してしまいました。そこで今度は神通力を持ったグル・パドマサンバヴァが招聘され、悪魔を退治したので無事に寺が建ったというお話。このとき、アティーシャはチベットの貴族の7人(?)に戒律を授けて出家させ、チベットに初めて正式な寺院が出来たというお話です。

チベットの寺院の多くは文化大革命のときに破壊されてしまいました。仏像は北京に運ばれて金属として溶かされてしまったそうです。このサムエ寺も再建・・壁が残っていたなら「修復」というべきでしょうか・・されたものですが、それでも聖地の中の聖地の風格を感じました。

チベットの歴史をコンパクトに読めます

1回目の旅から戻り、2回目の旅に行く前に少し勉強しようと「チベット」(フランソワーズ・ポマレ著/創元社)を読み返していました。すると、サムエ寺には8世紀に建てられた石碑が奇跡的に残っている、そこには仏教を国教に定めた王令が刻まれている、と書かれているではありませんか。1回目の旅のガイドは寺院内の仏像はとても詳しく熱く語ってくれていましたが、この大事な(と思いませんか?)石柱のことは触れませんでした。

 

本当にありました!

2回目の8月、この本のコピーを(1回目とは違うガイドでした)見せて、お寺の人に聞いてもらいました。石柱は寺の入り口のすぐ脇にあったのです。ああ、ここからチベットが仏教国になったんだ、と感動しました。

お寺のお店、お香を買いました

ところで、2回目の旅では寺の売店にも寄ってみました。ここで売っているものはお坊さんの祈祷済なのでとても有難いものです。サムエ寺の写真つきのお香をブータン人の友人たちに買い求めました。ブータン人が一生に一度は来たい聖地に来て、心の中ではいつもブータンの友人たちと会話していました。